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ギャオス・・・・

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33 :
神夏 純一郎(主)
 シンギュラリティな米国論の行末・・・30

 1917年(大正6年)3月に、日本の科学史に新しいページが刻まれて日本の科学技術
の発展に幅広く貢献した「理化学研究所」の誕生であったのだが、財政は苦しかったの
だ。しかし、理研の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出す状況で理研はよみがえる。
革新的な研究体制を創設して、その後の科学史に燦然と輝く功績を残したのみならず、
新産業などの創成、育成にも多大な足跡を残していく。「理研の三太郎」と呼ばれた、
長岡半太郎(物理学)、本多光太郎(磁性物理学)、鈴木梅太郎(農芸化学)をはじめ
、真島利行(有機化学)、大河内正敏(造兵学、経営者)、寺田寅彦(物理学)、仁科
芳雄(物理学)、坂口謹一郎(醗酵微生物学)、ノーベル物理学賞を受賞の朝永振一郎
(理論物理学)や、湯川秀樹(理論物理学)そして喜多源逸(応用化学)、日本で最初
の女性理学博士の黒田チカ(有機化学)ら、多くの優れた逸材によって成し遂げられた
ものだった。理研が世に送り出した人材と研究成果は、枚挙にいとまがない。理研での
研鑚を積んだ少壮科学者が、全国の主要な大学、研究機関に教授として、あるいは指導
者として分散して根を下ろし、物理、化学の分野の研究と、人材養成に果たした貢献は
絶大であり、また、それによって、わが国の多分野にわたる科学技術の水準を大きく高
めた。その名声は、日本はおろか世界の経済発展の推進力となった。理研が創設された
のは、明治維新からほぼ50年後、日本の科学技術近代化の黎明期に当たる。時あたかも
第1次世界大戦のころで、わが国は富国強兵を旗印に掲げていたから問題だった。それ
までに、大学や研究機関は、東京大学(1877年設立)、京都大学(1897年)、東北大学
(1907年)と、電気試験所(1891年)、東京工業試験所(1900年)、鉄道大臣官房研究
所(1913年)程度であった。それが1916年に大阪市立工業研究所、1917年に理研、1918
年に絹業試験所、大阪工業試験所など産業育成に欠かせない研究施設が相次いで整備さ
れていく。つまり、西郷の建てた学制は、近代義務教育の先駆けで大学を発足させ理研
によってビタミン剤開発を伴いやっと花開いたのであったが、戦争の時代と言う不幸を
背負っていたのである。渋沢栄一が設立した財団法人がもとになって、現在の科学の祖
の理研グループだが、リコーなどもこの流れを引き継ぐ企業でもあった。
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