3ちゃんねる★スマホ版★■掲示板に戻る■全部1-最新50

ギャオス・・・・

↑前のレスを取得
32 :
神夏 純一郎(主)
 シンギュラリティな米国論の行末・・・29

 こうして、1917年(大正6年) 渋沢栄一を設立者総代として皇室・政府からの補助金
、民間からの寄付金を基に「財団法人理化学研究所」を、東京都文京区駒込(現・日本
医師会館・文京グリンコート)に設立。伏見宮貞愛親王が総裁、菊池大麓が所長に就任
。1921年(大正10年)大河内正敏が、3代目所長に就任して英国式研究室制度を、打ち
出した。神奈川県藤沢市の大日本醸造株式会社内に大和醸造試験所を設立し、合成酒の
製造研究を開始した。1922年(大正11年)には研究室制度が発足。主任研究員に大幅な
自由裁量が与えられ、主任研究員は帝国大学教員との兼任を認め、研究室を帝国大学に
設置することを許可した。また、主任研究員が予算、人事権を握り、研究テーマも自主
的に設定。この研究室制度は理化学研究所を活性化したが、費用対効果を考えない研究
費の投入は、たちまち理研を財政難に陥れた。しかし、日露戦争で脚気が流行っていた
事に原因究明とその予防にヴィタミンAを発見、発明し、ビタミンA製剤を「理研ヴィ
タミン」(1938年(昭和13年)として大々的に広告売り出した。こうした商品の収益が
「科学者たちの楽園」を支えた。鈴木梅太郎研究室所属の高橋克己が、長岡半太郎や、
寺田寅彦の助力を得て、タラの肝油から世界で初めてビタミンAの分離と抽出に成功し
ていたのだ。試作品として売り出したところ、肺結核の特効薬との噂まで広まり患者の
家族らが殺到、大河内はその様子を見てこれを製品化することを決断し、鈴木梅太郎の
研究室をせきたてて4ヶ月で製品化させている。既存の医薬品企業と提携せずに理研の
自主生産で「理研ヴィタミン」を販売し、その販売収益により財政難は解消に向かう。
。1924年(大正13年)には、理研の作業収入の8割をビタミンAが稼ぎ出す状況になる
。ビタミンAの1カプセル当りの製造原価は1〜2銭だったが、これを10銭で直接販売し
て暴利を得ていたのである。ここから「薬、糞倍」と批判された。
100KB

新着レスの表示

★スマホ版★■掲示板に戻る■全部前100次100最新50

名前:E-mail: