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ギャオス・・・・

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31 :
神夏 純一郎(主)
 シンギュラリティな米国論の行末・・・28

 統合のこの案は、1869年に実行され、本郷湯島に所在する昌平学校を大学とし、神田
に所在する開成学校を大学南校とし、神田和泉町に存在する医学校が大学東校となり、
その後、学問論争が勃発。洋学重視の方針が勝って、国学の大学は一度閉鎖となってし
まう。その後、1877年の西南戦争の勃発時に、残った大学南校、大学東校が統合され、
日本初の大学「東京大学」が誕生した。後に、東大のキャンパスを設ける為に、本郷に
あった前田家の敷地を約3年間整備したのです。前田家の敷地面積は東京ドーム約7個分
と言われています。この残った東大赤門は歴史的建造物で実は赤門はもともと、前田家
の大名屋敷の門であった。前田家というのは、戦国武将で有名な前田利家が初代藩主で
ある前田家は赤門において、その当時の名残が今も残す「国指定重要文化財」である。
正式には「旧加賀屋敷御守殿門(赤門)」文政10年(1827年)に建立されたものです。
こうした 大学の卒業生が花開いたのが大正時代だ。大正時代は、明治と昭和に挟まれ
、14年5ヶ月の短い期間で、大正天皇が即位した1912年7月30日から1926年12月25日まで
を大正時代という。この時代、世界情勢は、ロシアやドイツ、オーストリアなどで帝政
が崩壊した。民主主義思想が台頭し。日本でも西洋化の波がきて「大正デモクラシー」
「女性解放運動」などが発生して、そのファッションや生き方を、大正モダンと呼んだ
。1914年〜1918年には第一次世界大戦で「軍需景気」に沸いたものの終戦で「戦後恐慌
」に陥った。さらに、1923年には「関東大震災」の発生で長い不景気の中に落とされた
。この時要請されたのが理化学研究所である。1913年(大正2年) 高峰譲吉、櫻井錠二
らが「国民科学研究所」構想を唱え、渋沢栄一らがその構想について、議論を行った。
1915年(大正4年) 第36回帝国議会において、衆議院・貴族院の本会議で、科学技術の
発展と振興を願って「理化学研究所創立」が決議された。
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